正月三日目にして息子が言った。今までシレッとやり過ごしてきたが、小学生ともなると色々な所から情報が入ってくる。そろそろ限界かもしれない。
ただその反面で、ここを凌げばなんとかなる、という淡い期待もあった。
脳内全てのメモリを駆使した。そして答えを導き出した。僕は息子に向かって口を開いた。
「そんな事より、今からトイザラスに行こう」
トイザラス。それは近所にあるおもちゃ屋さんだ。息子はすぐに立ち上がった。肯定の起立だった。お年玉の話はこれで来年まで先送りとなる。
四十過ぎのこの人生、僕はこうして修羅場をやり過ごしてきた。六歳児など軽いものだ。後は息子に気が済むまでおもちゃを眺めさせればいい。買う買わないはまた別の次元の話だった
声音。
それはそうとして、僕はわりとおもちゃ屋が好きだ。息子と向かったトイザラスも好きだし、ショッピングモールのテナントに入る小さな店も好きだった。
おもちゃ好きの男子というのは大人になってもたいして変わらない
秋日午后。
店内を見回せば子供より本気になっている父親が結構見られる。彼らは言わば戦友なのだ。
僕が子供の頃はもっと小さな個人商店が多かった。よく行くお店は、無口なオヤジが一人で店番する愛想の無いおもちゃ屋さんだった。そんな店で僕は少し高価なプラモデルをじっと眺めていた。その時、店主のオヤジが一言いった。それは君にはまだ無理だ、そういう内容の事だった
张张梅。
「見ても無駄。値段も高いし見ても無駄。君が買ったらもったいない」
今でも一字一句正確に覚えている。当時まだ六歳児だった僕に向かって、店主は確かにそう言った。子供ながらに腹がたった。客商売にあるまじき発言だった。僕はすぐに店を出た。
ならば逆に絶対買ってやろうと思っていた
红豆。